エイブラハム・ウォルドの爆撃機
第二次世界大戦中、アメリカ軍は爆撃機の損失を減らすために、ある分析を行った。
帰還した爆撃機の被弾箇所を調べ、弾痕の多い部分に装甲を追加しようとした。胴体や翼の端に弾痕が集中していた。直感的には、そこを補強すべきに見えた。
しかし、統計学者エイブラハム・ウォルドはまったく逆のことを指摘した。
「補強すべきは、弾痕が少ない部分だ」と。
なぜか。帰還した機体は、その箇所に被弾しても飛び続けられたから帰ってきた。弾痕が見られない箇所——エンジン周辺やコックピット——に被弾した機体は、帰還できなかったのだ。つまり、データから消えていた。
軍は「見えているデータ」だけで判断しようとしていた。ウォルドは「見えていないデータ」の存在に気づいた。これが生存者バイアスの本質である。
帰ってきた機体を調べても、墜落した機体のことはわからない。
見えているデータだけで判断すると、結論は正反対になり得る。
生存者バイアスとは何か
生存者バイアスとは、成功した事例や生き残った対象だけが可視化され、失敗した事例や消えた対象が見えなくなることによって生じる認知の歪みである。
この偏りは、あらゆる場面で発生する。成功した起業家のインタビューは雑誌に載るが、同じ戦略で失敗した何千人もの起業家の話は誰にも語られない。長寿の人の生活習慣は研究されるが、同じ習慣で早世した人のデータは集められない。
問題は、見えているサンプルが全体を代表していないことだ。生き残ったものだけを観察して法則を導けば、その法則は必然的に偏る。
しかも、この偏りは自覚しにくい。消えたデータは、文字通り見えないからだ。存在しないものの不在に気づくのは、人間の認知にとって極めて難しい作業である。
投資における具体例
投資の世界は、生存者バイアスの温床である。
投資信託のパフォーマンスデータを考えてみよう。過去10年のリターンが優秀なファンドの一覧を見れば、アクティブファンドの成績は悪くないように見えるかもしれない。しかし、成績が振るわなかったファンドの多くは、途中で償還(清算)されている。データベースから消えたファンドを含めると、アクティブファンド全体の成績は大幅に悪化する。
モーニングスターの調査によれば、米国の株式ファンドの約40%が15年以内に償還されている。つまり、現在「存在しているファンド」の成績だけを見れば、業界全体の実力を過大評価することになる。
「過去10年の成績上位ファンド」という一覧には、
途中で消えたファンドは含まれていない。
生き残った者だけのランキングは、実力の指標にならない。
個別株でも同じ構造がある。「テンバガー(10倍株)に投資していれば」という話は魅力的だ。しかし、テンバガーになった銘柄1社の裏には、同じ時期に上場廃止や大幅下落に至った何十、何百もの銘柄がある。
テンバガーを事前に選べたかどうかではなく、その選択の試行全体でどれだけの損失が発生し得たかを見なければ、期待値の計算は成り立たない。
起業家神話——成功談の裏にあるもの
バフェットは12歳で最初の株を買い、今や世界屈指の投資家である。ジョブズはガレージからAppleを立ち上げた。孫正義は若くしてソフトバンクを創業し、巨大な帝国を築いた。
これらの物語は、成功の法則を教えてくれるように見える。信念を持て、リスクを取れ、行動せよ——と。
しかし、同じ信念を持ち、同じようにリスクを取り、同じように行動した人々の大半は、失敗している。彼らの物語は書籍にならず、講演会で語られず、ニュースにもならない。
成功者の共通点を探して法則化する行為は、帰還した爆撃機の弾痕だけを見て装甲を決めるのと同じ構造を持つ。墜落した機体——すなわち失敗した人々——のデータを含めなければ、何が成功の「原因」で何が単なる「偶然の特徴」かを区別できない。
バフェットの成功が投資の原則によるものか、それとも彼固有の時代・環境・才能によるものかを判断するには、同じ原則に従って失敗した投資家のデータが必要である。成功者だけを見て「この方法は正しい」と結論づけることはできない。
成功者のアドバイスが正しいかどうかは、
同じアドバイスに従って失敗した人の数を見るまでわからない。
インデックスの生存者バイアス
「S&P 500に長期投資すれば年平均10%のリターンが得られる」。この言説はおおむね正しい。しかし、ここにも生存者バイアスが潜んでいる。
S&P 500は固定された500社のリストではない。毎年およそ20社が入れ替わる。業績が悪化した企業はインデックスから除外され、成長している企業が新たに組み入れられる。
つまり、S&P 500の長期リターンは、「常に勝ち組で構成されたポートフォリオ」のリターンである。除外された企業——エンロン、リーマン・ブラザーズ、コダック——の株価下落は、インデックスのリターンからは徐々に除去される。
これはインデックス投資が悪いという意味ではない。銘柄入替のメカニズムそのものが、インデックス投資の強みでもある。弱った企業を自動的に排除し、強い企業を取り込む仕組みは、一種の自然淘汰として機能する。
重要なのは、S&P 500の過去リターンを「アメリカ経済全体の平均的なリターン」と混同しないことだ。インデックスは経済全体ではなく、生き残りの中の勝者を集めたものである。
「消えたもの」を意識的に探す
生存者バイアスへの対処は、シンプルだが実行は難しい。
基本的な姿勢は一つ。「今、見えているものの裏に、消えたものがどれだけあるか」を常に問うことである。
- 成功事例を見たら、同じ方法で失敗した事例を探す
- ファンドの成績を見たら、償還されたファンドの数を確認する
- テンバガー銘柄を見たら、同時期に上場廃止になった銘柄の数を調べる
- 起業家の成功談を聞いたら、同じ業界で消えた企業の数を意識する
- ベースレート(基準率)を確認する——「この種の試みは、全体の何%が成功しているのか」
ベースレートの確認は、特に重要である。新興企業への投資を検討するとき、個別企業の魅力を分析する前に、「上場後5年以内に株価が半減する確率はどれくらいか」を知っておく。この基準率を知らなければ、個別の分析がどれほど精密でも、意思決定の土台が欠けている。
生存者バイアスは、他の認知バイアスと同様、「知っていれば免疫ができる」というものではない。知っていても、目の前に魅力的な成功事例が現れれば、消えた失敗例を想像するのは難しい。
だからこそ、判断のプロセスに組み込むことが有効である。投資判断のチェックリストに「消えたデータは何か」という項目を加える。感覚ではなく、手続きとして確認する。
見えるものを疑うのではなく、
見えないものの存在を思い出す。
それが、生存者バイアスへの最も実践的な対処である。