1973年、福井県鯖江市に生まれた藤田晋は、高校卒業後に青山学院大学に進学します。当時の彼に、将来日本を代表するIT企業を率いるという確信はなかったでしょう。しかし大学時代、ある出来事が彼の人生を決定的に変えます。
営業のアルバイトで頭角を現した藤田は、ビジネスの世界に魅了されます。「自分で会社を作りたい」——その想いは、日に日に強くなっていきました。
1998年、24歳の藤田晋はサイバーエージェントを設立します。インターネット広告代理事業からスタートし、わずか2年後の2000年にはマザーズ上場を果たします。26歳での上場は、当時の最年少記録でした。
しかし、上場の喜びは長くは続きませんでした。2000年のITバブル崩壊が、彼を待ち受けていたのです。
株価は上場時の高値から90%以上下落しました。メディアからは「ヒルズ族の転落」と書き立てられ、敵対的買収の脅威にも晒されます。社員の退職が相次ぎ、経営は存続の危機に。
この時期の藤田は、文字通り生き残りをかけて戦っていました。「渋谷ではたらく社長の告白」には、その壮絶な日々がリアルに綴られています。夜中まで働き、時には涙を流し、それでも朝になれば会社に向かう。
投資家の視点で見ると、この時期の藤田の行動には二つの注目点があります。一つは、本業の広告事業を手放さなかったこと。もう一つは、逆境の中でも新規事業への投資をやめなかったこと。短期的には批判されましたが、長期的にはこの判断が正しかった。
2004年にはAmebaブログを立ち上げます。しかしこの事業も、当初は赤字続きでした。「いつ撤退するのか」という声は社内外から上がり続けます。
藤田は撤退しませんでした。粘り強く改善を繰り返し、Amebaは2010年頃には黒字化を達成。この経験が、後のAbemaTV(現ABEMA)への挑戦につながります。
2016年に開局したAbemaTVもまた、年間200億円規模の赤字を出し続けました。しかし藤田は「これは10年かかる事業だ」と語り、投資を続けます。2022年、FIFAワールドカップの放映権を獲得し、ABEMAは一気に国民的メディアとしての地位を確立します。
藤田晋の経営哲学を一言で表すなら、「粘る力」です。短期的な成果を求めず、長期的なビジョンに基づいて投資を続ける。これは、バフェットの「永久保有」の考え方と通底するものがあります。
投資家として藤田を見るとき、注目すべきは資本配分の判断です。広告事業で稼いだキャッシュを、メディア事業に長期投資し続ける。株主からの批判があっても方針を変えない。これは、経営者としての信念の強さと、事業の本質を見抜く力の両方がなければできないことです。