LEHMAN CRISIS — DEEP DIVE
DODD-FRANK · BASEL III · QE · REGULATION

規制改革とその後

Aftermath and Reform

「二度と繰り返さない」——危機のたびに語られる約束。
リーマン後の規制は、次の危機を防げるのか。

ドッド=フランク法(2010年)

2010年7月、オバマ大統領が署名したドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法は、1930年代の大恐慌以来、最も包括的な金融規制改革だった。法案は2,300ページに及び、金融システムの根本的な改革を目指した。

  • ボルカー・ルール — 銀行の自己勘定取引(プロプライエタリ・トレーディング)を制限。顧客のためではなく、自社の利益のための投機的取引を禁止
  • 金融安定監視委員会(FSOC)の創設 — システミック・リスクを監視し、「大きすぎて潰せない」金融機関を指定・規制
  • デリバティブ取引の取引所義務化 — CDSなどの店頭デリバティブを取引所や清算機関を通じて取引することを義務付け、透明性を確保
  • 消費者金融保護局(CFPB)の設立 — 略奪的貸付から消費者を守る独立機関

バーゼルIII

国際的な銀行規制の枠組みであるバーゼル合意も、危機を受けて大幅に強化された。

  • 自己資本比率規制の大幅強化 — 中核的自己資本(CET1)比率を2%から4.5%に引き上げ。加えて2.5%の資本保全バッファーを新設
  • レバレッジ比率制限の厳格化 — リスクウェイトに関係なく、総資産に対する最低自己資本比率を3%以上に設定
  • 流動性規制の導入 — 流動性カバレッジ比率(LCR)と安定調達比率(NSFR)を新設。短期的な資金繰り危機への耐性を強化

要するに、銀行はより多くの自己資本を持ち、より少ないレバレッジで運営し、より多くの流動性を確保することを求められるようになった。


SEC規制緩和の失敗

危機の根因を理解するには、危機に先立つ規制緩和の歴史を見る必要がある。

時期規制緩和
1999年グラス・スティーガル法の撤廃(グラム・リーチ・ブライリー法) — 1933年以来、商業銀行と投資銀行の分離を定めていた法律を廃止。銀行の肥大化を可能にした
2000年商品先物近代化法 — CDSなどのデリバティブを規制対象から明示的に除外。「規制の真空地帯」を生み出した
2004年ネットキャピタルルールの緩和 — 投資銀行のレバレッジ上限を12:1から30:1〜40:1に引き上げ

2004年のネットキャピタルルール緩和は特に注目に値する。この緩和を推進したのが、当時ゴールドマン・サックスCEOだったヘンリー・ポールソンだった。彼はその後、財務長官としてリーマン破綻時の対応を指揮することになる。

SEC委員会での採決は5名全員一致で承認。議論はわずか55分。傍聴者はほぼゼロだった。世界金融システムの安全弁を外す決定が、ほとんど誰にも注目されずに行われた。


Too Big to Fail — なぜリーマンだけが救済されなかったか

ベア・スターンズは救済された。ファニーメイとフレディマックは国有化された。AIGには$850億が投入された。では、なぜリーマン・ブラザーズだけが見捨てられたのか。

  • 法的権限の不在説 — FRBには投資銀行を直接救済する法的権限がなかった(とポールソンとバーナンキは主張した)
  • 担保不足説 — リーマンの資産は劣化が激しく、FRBの融資に必要な適格担保が不足していた
  • モラルハザード防止説 — ベア・スターンズ救済後、「次も救済される」という市場の期待を断ち切る必要があった
  • 買い手不在説 — バークレイズとBofAが候補だったが、いずれも最終的に撤退(BofAはメリルリンチを選んだ)
  • 政治的判断説 — 選挙を控え、これ以上の「ウォール街救済」は政治的に不可能だった

「この金融危機は回避可能だった。これは天変地異でも、コンピューターモデルの失敗でもない。人間の行動と不作為の結果であり、人間が説明責任を負うべきものだ。」

— 金融危機調査委員会(FCIC)最終報告書(2011年)

量的緩和の常態化

危機への対応として、FRBは前例のない規模の金融緩和に踏み切った。政策金利がゼロに達した後、中央銀行が市場から直接資産を買い入れる「量的緩和(QE)」が始まった。

施策内容
QE1(2008〜2010年)$1.7兆の資産買入。MBSと国債を中心に市場に流動性を供給
QE2(2010〜2011年)$6,000億の国債買入。景気回復の足取りが弱く追加緩和
QE3(2012〜2014年)月額$850億の買入(当初)。「雇用が十分に改善するまで」の無期限緩和
ドラギ発言(2012年)ECB総裁ドラギが「Whatever it takes(何でもやる)」と宣言。ユーロ危機の転換点に

量的緩和は危機からの回復を支えた。S&P500は2009年3月の底値(676)から2024年末には約7倍に上昇した。しかし、この前例のない金融緩和は資産価格のインフレを招き、持てる者と持たざる者の格差を拡大させた。

危機は構造を変え、規制を生み、次の危機の種を蒔く。リーマン後の量的緩和がもたらした資産インフレは、新たな問いを突きつけている。

DEEP DIVE — LEHMAN CRISIS

リーマン・ショックの全体像を振り返り、次の一歩へ。