1987年10月19日 ── 一日で22.6%が消えた
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク証券取引所でダウ工業株30種平均が508ポイント下落した。下落率は22.6%。1日の下落率としては史上最大であり、この記録は今なお破られていない。
暴落はアメリカだけにとどまらなかった。香港、オーストラリア、イギリス、日本。世界中の市場が連鎖的に崩壊した。日経平均も翌日に3,836円(14.9%)下落している。
1929年の大暴落が数日かけて進行したのに対し、ブラック・マンデーはたった1日で市場を破壊した。その速度こそが、この暴落の本質だった。
プログラム取引が「売りの連鎖」を生んだ
暴落の背景には複数の要因があった。
- 米国の金利上昇懸念と長期金利の急騰
- 貿易赤字の拡大による ドル安不安
- 前週からの株価下落で市場心理が悪化していた
しかし、暴落をここまで激しくしたのは「ポートフォリオ・インシュアランス」と呼ばれるプログラム取引だった。
これは、株価が下がると自動的に先物を売ることで損失を限定する仕組みだ。理論上は合理的なヘッジ手法だが、多くの機関投資家が同じ戦略を採用していたことが致命的だった。
株価が下がる → プログラムが先物を売る → 先物価格が急落 → 裁定取引で現物も売られる → さらにプログラムが発動する。この「売りが売りを呼ぶ」フィードバックループが、暴落を加速させた。
個々の参加者にとっては合理的な行動が、全体としては破壊的な結果をもたらす。
これは「合成の誤謬」の教科書的な事例である。
サーキットブレーカーの誕生
ブラック・マンデーの教訓から、市場の安全装置が導入された。
- サーキットブレーカー制度 ── 一定以上の下落で取引を一時停止する仕組み。パニック売りの連鎖を断ち切るための「冷却期間」を強制的に設ける
- プログラム取引の規制 ── 自動売買の暴走を防ぐためのルールが整備された
- 市場間の連携強化 ── 現物市場と先物市場の連動リスクが認識され、監視体制が強化された
また、FRB議長に就任したばかりのアラン・グリーンスパンが即座に流動性を供給し、市場の安定化に貢献した。この「危機時にはFRBが介入する」という先例は、後の金融政策に大きな影響を与えた。
アルゴリズムと市場安定 ── 未解決の問い
ブラック・マンデーが提起した問題は、テクノロジーが進化した現在でも解決されていない。
2010年の「フラッシュ・クラッシュ」では、高頻度取引(HFT)が数分間で市場を混乱させた。2020年のコロナ・ショックでもサーキットブレーカーが複数回発動した。
アルゴリズムは市場に流動性を提供する一方で、危機時にはその流動性を瞬時に奪い去る。機械の速度で動く市場において、人間はどこまで制御できるのか。1987年に生まれたこの問いは、AIが取引に参入する時代に、さらに重みを増している。
市場が1日で22.6%下落し得るという事実。
この数字を知っているかどうかが、暴落時の行動を分ける。
関連用語
- ブラック・マンデー — 1987年10月19日の世界同時株安。ダウ平均が1日で22.6%下落した
- ポートフォリオ・インシュアランス — 株価下落時に先物を自動売却して損失を限定するヘッジ戦略
- サーキットブレーカー — 急激な価格変動時に取引を一時停止する制度。暴落後に導入された
- プログラム取引 — コンピュータが事前に設定された条件に基づいて自動的に売買を実行する手法